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チュートリアル通信第6回 合格者が紹介する「税法」を学ぶことについて深く考えさせられる2冊の本

チュートリアル通信
「税法」科目免除大学院チュートリアル通信。「税法」科目免除大学院 試験合格者が試験対策や試験情報などを皆様に教えるコンテンツ。
チュートリアル通信では、大学院に合格したKALSのチューターが、試験対策や参考図書、研究計画書について、各大学院の様々な情報や、税法関連の小ネタなど、
皆さんに有益となるようなコンテンツをお送りしていきます。日々の勉強の合間の息抜きとして、是非ご覧になってみてください。
河合塾KALS 税理士「税法」科目免除大学院 講座

第6回 税法を学ぶ動機を考える



長かった梅雨も終盤に差し掛かり、暑さも増してきました。税理士試験の方は、わき目も振らずに、受験勉強の時期かもしれません。そこで、今回は、2つの本をご紹介しながら、税法を学ぶ動機について少し考えてみたいと思います。

● 事件の背景を知る

江崎鶴男『長崎年金二重課税事件―間違ごぅとっとは正さんといかんたい! 』(清文社、2010)



最初に研究計画書のテーマとして取り上げる方も多い「長崎年金二重課税事件」について、当事者となって国と争った江崎税理士の著書をご紹介します。


裁判の背景を深く知ることで、なぜこの判例を研究することに至ったのかということの強い理由付けが可能になります。いくつかの有名判決では、いろんな著書が出ていますので、それらを読むことで、論文を読むだけではわからないドラマ性などを味わってみるのも良いと思います。

この事件は、実は最終的に還付税額が2万円程度の事件でした。しかも、年金受給中のご婦人がたった一人で弁護士を付けずに行った「本人訴訟」としてスタートしています。その背景には、その担当となった江崎税理士の執念の物語があったようです。江崎税理士は、まったく周囲の理解を得られない中、税理士としての正義感から、一人のご婦人に協力をお願いし、手弁当でこの二重課税問題に立ち向かっています。地裁では、江崎氏は補佐人(税理士は弁護士の資格がない限り単独では補佐人にはなれません。税理士法2条の2)としての陳述が認められず、ご婦人がたった一人で、何人もの国税庁のプロの訟務官たちに対峙する局面を迎えます。しかし、書記官と裁判長の機転の利いた配慮を経て、地裁での勝訴を勝ち取ります。その後、周囲の理解と賛同を徐々に得ながら、感動の最高裁勝訴を勝取ります。

この訴えの背景を知ると、納税者と税理士の関係。法律家としての税理士の役割など、多くの本質的な問題に気付くかもしれません。

● 「法律家とは?」を考える

我妻榮『法律における理屈と人情』(日本評論社、第2版、1987)



2冊目は、昔、黒須先生におすすめいただいた「歩く通説」と呼ばれた我妻教授の著書です。少し、古い本ですが、目指すべき法律家像に気づかせてくれる、一気に読める講演録です。

税法の世界には、法律に従うとその通りだけれど、自分の価値観からは大きな違和感を感じる問題が多く存在します(そもそも、人のお金を強奪することを正当化する法律ですから)。細かいことは、別にして、「結論は絶対に違う!」っていうことはありませんか?こういう時には、必ず、どこか(私の場合は、Evernote=「堪忍袋」です。)に書き留めておきましょう。実は、これがのちに重要になります。

自分が感じた問題意識について研究を進めていくと、その多くは、既に、学者の論文などで説明が行われていることを発見します。自分と同じ意見の学者の意見に納得する一方で、反対の意見の学者の意見にも、不思議なことに、また、納得してしまいます。その結果、自分の最初に感じた気持ちの高まりが、だんだん小さくなり、最後には、「結局、解決しなくてもいい問題ではないのでは?」と感じてしまうようになることが頻繁にあります。

本書で、我妻先生は弁護士の卵に対して法律家の心構えを次のようにいっています。「私の希望したいことは、まず第一に、法律なり規則なりを十分身につけて、すみからすみまでわかるようにせよ、そして、思いきって杓子定規に適用してみよ、ということです。」まずは、規定の文理に従って解釈しなさいということですね。しかし、本当に大事なのは、そこではないようです。「…形式的に適用するのは、第一歩の仕事である、やがて法律が全部わかるようになれば、その枠を崩さないで、なんとかして人情に合わせるように、具体的妥当性を発揮するように努力する、その理想を達することのできるために第一歩として、その準備として、まず法律をすみからすみまで理解して、そうしてそれを、杓子定規に動かすのだ」と、「人情」という、社会通念上、妥当だと思う結論に到達させるために法律を解釈することが法律家の役割であることを主張しています。そのように解釈で努力しても、妥当な結論に到達しなければ、法律を改正しなければいけないという議論になるのでしょうね。一方で、法律家の陥る罠について、次のように注意も促しています。「大学を卒業して、役所や会社に入る。…問題が生じたときに、常識論を勇敢に主張する。『それは単なる常識論だ』、『ここにこういう法律があるのをどうしてくれる』とみんなから、よってたかってたたかれる。…くやしいから法律の勉強をする。だんだん勉強すると、こんどはおもしろくなる。みんなの知らないことを知っているから非常に愉快だ。(笑声)そして、あべこべに、常識をやっつけるようになる。…まったくあべこべなのです。」
 
どうでしょうか、思い当たるところありませんか?
法律家は、小難しい「規定」を振り回すことが大好きです。皆さんも、その入り口に立っています。人情を実現するために法律を使う人になるのか、法律による判断によって人情をねじ伏せるような人になるのかの分岐点にいます。
 
最初に、「堪忍袋」の話をしました。研究の結果、自分の考えと違ったけれど納得してしまったとき、もう一度その「堪忍袋」を覗いてみてください。それを書いたときの自分に対して、「それは単なる常識論だ。規定や学説からは、違う結論になるけど、それが妥当なんだ」という自分がいれば、要注意かもしれません。

●終りに
会計ソフトなどを利用することが一般的な現在、判例や条文を読むことのできない「法律家」ではない税理士の存在意義を考えると正直ぞっとします。何かの縁で、大学院で税法を専門的に学ぶわけですから、ここはひとつ、法律家になる意義を考え、法律にどっぷりつかってみてください。
季節の変わり目です。お体、ご自愛ください。